大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)180号 判決

原告 川島幸男

被告 中央労働基準監督署長

代理人 神原夏樹 石川善則 座本喜一 ほか五名

主文

一  被告が原告に対し昭和四七年三月二七日付でした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

主文同旨の判決を求める。

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

第二主張

一  請求の原因

1  原告の職歴

原告は、昭和二一年四月一日、株式会社毎日新聞社東京本社(以下「会社」という。)に入社し、見習期間を経たのち活版部に配属され、それ以後植字工として固型鉛を取り扱う大組及び植字の業務に一貫して携わつてきた。右業務は、鉛予防規則(昭和四二年三月六日労働省令第二号)の適用される鉛業務であり、原告は、鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で、業務に従事してきたものである。

2  原告の症状

(一) 原告は、従来健康な生活を営んできたが、昭和四二年秋から健康状態に異常をみせ始め、発熱したり、気管支・咽頭などの呼吸気系統をおかされるようになり、昭和四三年から四四年にかけては、微熱、寝汗、強度の頭痛、不眠、食欲不振、腹痛、便秘、下痢、目まい、手に持つているものを落す、倦怠感、根気喪失などの症状を示すに至つた。また、精神的には常に焦燥状態にあつた。

(二) 更に、昭和四五年一〇月二九日から翌四六年七月一〇日までの間、原告は日本医科大学附属第一病院(以下「日医大病院」という。)において「うつ状態」との診断名で治療を受けたが従前の症状は軽快せず、当時の原告の具体的な症状は、微熱、脱力感、倦怠感、疲労がとれない、集中力がなくなる、もの忘れがひどくなる、焦燥感、不眠、風邪をひきやすい、頭痛、頭重、腹痛、便秘、下痢、鼻血、口内炎、歯痛、耳鳴り、水虫、身体全体の皮膚障害、足のけいれん、うわごと、よだれ、寝汗、はきけ、めまい、身体を横にして上をみると天井がゆれ動く、手に持つているものを落とす、両足の感覚異常、自分がどこにいるか存在が分からなくなる等の三〇以上に及んだ。

(三) 原告は、日医大病院での加療にもかかわらずその症状が一向に好転しないため、昭和四六年七月一日、東京保健生活協同組合氷川下セツルメント病院(以下「氷川下病院」という。)において受診し、検査の結果、慢性鉛中毒症と診断され、同病院で治療を受けた。その結果、原告の症状は著しく軽快していつた。

3  原告の疾病

(一) 前項(二)記載の原告の各症状は、医学上慢性鉛中毒症によつて発生しうるとされている症状であり、原告が鉛による有害作用を受けながら二〇余年間職場での労働に従事した結果発生したものであつて、原告の日医大病院受診時の疾病は、業務上の事由による鉛中毒症である。

(二) ちなみに、原告は、日医大病院受診中である昭和四五年一〇月二九日から昭和四六年三月二一日までの間全く業務に従事しておらず、また、同月二二日から同年七月一〇日までの間は、通常の一日一〇時間勤務のうち五時間勤務しただけであつて、鉛曝露の量は非常に少なく、この点からいつても、慢性鉛中毒症とされた氷川下病院時代の症状の発現時期は、日医大病院受診前に求めなければならない。

4  被告の処分

(一) 原告は、自己の疾病が業務上の事由によるものであるとして昭和四六年一二月二五日被告より氷川下病院初診時である昭和四六年七月一日に遡及して労災認定を受け、同病院受診後の療養費について労働者災害補償保険法による療養補償給付の支給を受けることとなつた。

(二) 更に、原告は昭和四七年三月一〇日昭和四五年一〇月二九日から同四六年七月一〇日までの日医大病院受診中にかかる療養補償給付を請求したが、被告は、昭和四七年三月二七日、右給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を行つた。

(三) 原告は右処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、同審査官は、昭和四八年七月三〇日付をもつてこれを棄却した。そこで、原告はこの決定を不服として労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五一年八月三一日付をもつて棄却の裁決をした。

5  本件処分の違法性

日医大病院受診時と氷川下病院受診時の原告の症状は同一のものであり、日医大病院受診時の原告の疾病も業務上の事由によるものであるにもかかわらず、これを否定して日医大病院受診中にかかる療養補償給付を支給しないとした本件処分は、違法である。

6  請求

よつて、原告は、本件処分の取消しを求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  認否

(一) 請求の原因1の事実は認める。

(二) 同2の(一)の事実は不知

同2の(二)の事実中、原告が昭和四五年一〇月日医大病院で受診し、「うつ状態」の診断名で治療を受けたことは認めるが、その余の事実は不知

同2の(三)の事実中、原告が氷川下病院において受診し慢性鉛中毒症との診断を受けたことは認めるが、その余の事実は不知

(三) 同3の(一)の原告の各症状が業務に起因する鉛中毒症であるとの点については争う。

同3の(二)の事実中、原告の通常の勤務時間が一日一〇時間であることは不知、鉛曝露の量からみて氷川下病院受診時の症状の発現時期が日医大病院受診時前であるとの点は争い、その余の事実は認める。

(四) 同4の事実は認める。

(五) 同5は争う。

2  被告の主張

(一) 労働省は、鉛関係の業務に従事する労働者の鉛中毒についての認定基準を定めていたが(昭和三九年九月八日付基発第一〇四九号、以下「旧認定基準」という。)、昭和四六年七月二八日付通達(基発第五五〇号、以下「新認定基準」という。)をもつて右旧認定基準をより詳細に改定した(なお、この認定基準は、当該疾病かどうかを認定する基準であつて、当該疾病の発病時期に関してまで特段の指示を行つているものではない。)。

右新認定基準によると、鉛中毒と認められるには、次の各項のいずれかに該当することが必要であるとされている。

(1)(ア) 鉛中毒を疑わしめる末梢神経障害、関節痛、筋肉痛、腹部の疝痛、便秘、腹部不快感、食欲不振、易労感、倦怠感、睡眠障害、焦燥感、蒼白等の症状が二種以上認められること。

(イ) 尿一リツトル中に、コプロボルフイリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか又は尿一リツトル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。

(ウ) 血液一デシリツトル中に、鉛が六〇マイクログラム以上検出されるか又は尿一リツトル中に、鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。

(2)(ア) 血色素量が、血液一デシリツトルについて常時男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるかもしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか、又は赤血球数が血液一立方ミリメートル中、常時男子四二〇万個、女子三七〇万個未満であつて、これらの貧血徴候の原因が、消化管潰瘍、痔核等の事由によるものでないこと。

なお、常時とは、日を改めて数日以内に二回以上測定した値に大きな差を認めないものをいう。ただし、赤血球については、同時に貧血に関する他の数項目を測定した場合、それらの一定の傾向があつたときはこの限りではない。

また、採血は空腹時に行うものとする。

(イ) 一週間の前と後の二回にわたり尿一リツトル中にコプロポルフイリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか又は尿一リツトル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。

(3) 鉛の作用によることの明らかな伸筋麻ひが認められるものであること。

なお、旧認定基準では、左のとおりであつた。

(1) 次の各号((ア)、(イ)、(ウ))のうち、(ア)及び(イ)又は(ア)及び(ウ)の何れかに該当するものであること。

(ア) 血色素量が血液一デシリツトルについて男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるか、もしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか又は赤血球数が血液一立方ミリメートル中常時男子四二〇万個女子三一〇万個未満であつて、これらの貧血徴候の原因が釣虫症もしくは出血(たとえば消化管潰瘍、痔核等による)その他の事由によるものでないこと。

(イ) 好塩基班点赤血球が常時赤血球一〇〇〇個について三個以上認められるものであること。

(ウ) 一週間にわたり尿中に明らかに、コプロフイリンが増加しているものであること。

(2) 鉛作用によることの明らかな伸筋麻ひが認められるものであること。

(3) 鉛蒼白、鉛縁、手肢の振せん、握力の減退、関節痛、腹部の疝痛、常習性便秘等の鉛中毒等を疑わしめる症状が数種あらわれ、血液一デシリツトル中に鉛が六〇マイクログラム又は尿一リツトル中に鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。

なお、前記(1)にいう常時とは連続二日間にわたつて採血して検査を行い、その測定値が両日の間に有意の差を認めない場合をいう。また(1)の(ウ)における「一週間にわたりコプロポルフイリンが増加しているもの」とは一週間の前後並びに少なくとも、その中間に一回検査を行い、何れも、これが増加している場合をいう。

(二) 昭和四五年一〇月二九日日医大病院神経科受診当時における原告の症状は、不眠、食欲不振、倦怠感のほか行動抑制、思考抑制、病的悲哀感等があげられているが、症状としては一応新認定基準に鉛中毒を疑わせるものとして掲げられているものに該当するといえる。

(三) しかしながら、日医大病院において昭和四五年一一月二八日に行われた血液一般検査については、いずれも正常、貧血なし、尿検査についても正常とされており、また、同病院で同四六年二月一二日行われた血液一般検査でも、正常、貧血なしという結果であり、更に、昭和四六年三月一〇日及び同年四月二三日に会社で行われた鉛特殊健康診断(ただし、鉛予防規則所定の鉛健康診断ではない。)においても、血色素量、全血比重、赤血球数は新旧認定基準に定める基準値に該当せず、尿中コプロポルフイリンは陰性であつた。

また、会社診療所の病歴表によれば、原告は、昭和二七年一一月一〇日から昭和二九年四月二二日まで一年五か月間村山療養所に肺浸潤で入院したほか、昭和四二年一〇月気管支炎二回、昭和四三年四月扁桃腺炎、同年一二月急性上気道炎、昭和四四年二月から一二月にかけて気管支炎、感冒など五回、同年七月に急性大腸炎、同年八月に神経循環無力症、昭和四五年一月急性上気道炎、同年三月風邪、同年四月及び八月に神経循環無力症にかかり、それぞれ二日ないし二五日間欠勤したことになつている。これらによれば、原告には肺浸潤の既往症があり、その後も気管支炎、感冒などにかかりやすい傾向と神経循環無力症と診断された自律神経失調状態(たとえば、低血圧、内臓下垂)を疑わせる傾向を有していたものであり、また、昭和四五年一〇月二九日日医大病院で受診し「うつ状態」の病名で同四六年七月一〇日まで治療を受けているが、前記(二)の原告の症状は、右のような原告の疾病及び身体的傾向によつても通常起こりうるものである。

(四) 以上のように、日医大病院受診当時行われた会社の特殊健康診断の検査において原告は新旧認定基準に示された要件を具備しておらず、当時の原告の症状は原告の既往症及び身体的傾向によつても通常起こりうるものであり、医師の所見等を総合的に判断しても、原告の日医大病院受診当時の疾病は労働基準法施行規則三五条一四号に定める鉛による中毒であると認めることはできない。

四  被告の主張に対する答弁

1  被告の主張(一)は認める。

2  同(二)は認める。

3  同(三)のうち、日医大病院での検査結果及び会社で行われた鉛特殊健康診断(ただし鉛予防規則に定める健康診断ではない。)の結果が被告主張のとおりであつたこと、会社診療所の病歴表によれば原告の病歴が被告主張のとおりであること並びに原告が昭和四五年一〇月二九日日医大病院で受診し「うつ状態」の診断名で同四六年七月一〇日まで治療を受けていたことは認めるが、その余は争う。

4  同(四)は、争う。

第三証拠 <略>

理由

一  本件処分の存在

原告が昭和四七年三月一〇日昭和四五年一〇月二九日から同四六年七月一〇日までの日医大病院受診中にかかる療養補償給付を請求したところ被告が昭和四七年三月二七日右給付をしない旨の本件処分を行つたこと、原告が本件処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたところ同審査官は昭和四八年七月三〇日付をもつてこれを棄却したこと及び原告が更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたところ同審査会は昭和五一年八月三一日付をもつて棄却の裁決をしたことは、当事者間に争がない。

二  本件処分の違法性

1  本件処分の適否は、原告の日医大病院受診中の疾病が業務上の事由によるものかどうかにかかる。

2  労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前のもの)第一二条は、労働基準法七五条所定の災害補償事由が生じた場合に補償を受けるべき労働者に対しその請求に基づいて療養補償給付を行うものとし、労働基準法七五条は「労働者が業務上……疾病にかかつた場合」を災害補償事由と定めている。右規定にいう「業務上」とは業務に起因することすなわち業務と疾病との間に相当因果関係があることを意味するものと解されるが、労働基準法施行規則三五条(昭和五三年労働省令第一一号による改正前のもの)は、前記労働基準法の規定の委任を受けて一定の職業性疾病を列挙しており、当該疾病を発生させるに足りる有害な業務に従事する労働者が当該疾病にかかつた場合には、特段の反証がない限り、業務に起因する疾病として取り扱うこととしている。そして、同条一四号には、「鉛……による中毒及びその続発症」があげられている。

本件において、原告が昭和二一年四月一日会社に入社し見習期間を経たのち活版部に配属されそれ以後植字工として固型鉛を取り扱う大組及び植字の業務に一貫して携わつてきており鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で業務に従事してきたことは当事者間に争がないから、原告の日医大病院受診当時の疾病が鉛中毒症に該当するのであれば、原告の右疾病は、業務上の事由によるものと推定されることとなる。したがつて、本件の主要な争点は、原告の右疾病が鉛中毒症に該当するかどうかにあることとなる。

3  ところで、労働者が職業性疾病にかかつているかどうかの判断は、医学的な判断を必要とし、必ずしも容易ではない場合が少なくない。

<証拠略>によれば、一般に、慢性鉛中毒症は、呼吸器又は消化器を通じて長期間にわたり鉛が体内に吸収蓄積され、徐々に発病し(ただし、鉛の摂取量が多い場合には比較的短期間で発病することがある。)、多様な症状を呈するに至るものであるが、その症状の多くは鉛中毒特有のものではなく、他の疾病によつても起こりうるものであつて、その症状のみによつて鉛中毒の診断をすることは極めて困難であることが認められる。

<証拠略>によれば、本件新旧認定基準は、右のような鉛中毒症の判断の困難性にかんがみ、行政上、鉛中毒症の認定につき、迅速、適正、確実な判断を行い認定の斉一性を確保することができるよう、労働省労働基準局長の諮問機関として設置された鉛中毒に関する専門家会議の医学的な専門的意見に基づいてその具体的な判断基準として作成されたものであり、労働基準監督署長による鉛中毒に関する業務上外の認定は、右認定基準に則つて行われてきていることが認められる。

右のような新旧認定基準の性質から考えると、新旧認定基準に定める要件をみたさない場合に鉛中毒症と認めることができるかどうかは別として(<証拠略>によれば、要件をみたさない場合でも個々の症状を検討したうえで業務上の認定をすることができる場合があることは認められる。)、少なくとも新旧認定基準に定める要件をみたす場合にはこれを鉛中毒症と判断しても誤りでないという合理性をもつ基準であることについては、異論のないところと考えられる。

他方、新旧認定基準は、その性質内容に照らし鉛中毒症か他の疾病かについて疑いがある場合における両者の識別の基準としての機能をはたすべきものであり、鉛中毒症の発病時期までを確定する基準としての機能をもつものでないことは明らかである(このことについては被告も認めるところである。)。

そうすると、鉛中毒症を疑わせる症状ではあるが他の疾病によつても起こりうるような症状を呈している労働者が、労働基準監督署長により新旧いずれかの認定基準に照らし鉛中毒症に該当するとして業務上の事由による疾病であるとの認定を受けた場合に、その鉛中毒症と判断された時期以前の時期(ただしあまりさかのぼらない時期)においても、鉛中毒症と判断された時期におけるのと同様の鉛中毒症を疑わせる症状を呈していることが客観的に認められるときには、その症状が他の疾病に起因することが明らかである特段の事情がない限り、その症状も鉛中毒に起因するものと推定するのが相当というべきである。

4  そこで、これを本件についてみると、次のとおりである。

(1)  まず、原告が氷川下病院入院当時慢性鉛中毒症の診断を受け昭和四六年一二月二五日被告により同年七月一日にさかのぼつて業務上の事由による疾病であるとして労災認定を受けたことは、当事者間に争がない。そして、<証拠略>によれば、右認定は、原告に鉛中毒症を疑わせる症状がありかつ同年七月二八日自然状態の蓄尿で尿中鉛一リツトル当たり一八〇マイクログラム(当日は一三五〇cc中鉛の総量二四三マイクログラムであつた。)を検出したため、旧認定基準の要件をみたすものとしてされたと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2)  次に、労災認定を受けた氷川下病院受診時には、<証拠略>によれば、初診時「鉛顔貌、両手肢の振せん著明、両下肢に著明な伸筋麻ひ、背筋力低下(八三kg)、易労感、倦怠感、睡眠障害、食欲不振、焦燥感」の症状があり、入院中「腹部不快感、腹部疝痛」の症状があつたこと、また、<証拠略>によれば、右入院中「うつ状態、不眠、夢遊状態、頭痛、頭重、微熱、耳鳴、両側母趾伸筋の麻ひ(階段でのつまずき)、食欲不振、下痢と便秘の交代性出現、鼻水・くしやみ・咽頭炎などにかかりやすい傾向、皮膚障害、性欲減退、性交渉減少」の症状があつたことが認められる。

他方、日医大病院受診当時には、<証拠略>によれば、初診時に「不眠、日内変動、思考抑制、思考力低下、行動抑制、億劫感、集中力低下、病的悲哀感(悲哀的気分)、希死念慮(自殺念慮)、食欲不振、焦燥」の症状があつたこと、診断名として「うつ状態」とされていたこと、また、<証拠略>によれば、入院中「微熱、脱力感、倦怠感、疲労がとれない、集中力がなくなる、焦燥感、不眠、風邪をひきやすい、頭痛、頭重、便秘、下痢、指のふるえ、もの忘れがひどい、皮膚障害、鼻血、口内炎、歯痛、体のふらつき、階段の昇降困難、頻脈、性欲減退、夢遊状態、幻覚症状」の症状があつたことが認められる。なお、<証拠略>によれば、日医大病院受診当時である昭和四六年三月一〇日の会社の特殊健康診断においては「便秘、手指の振せん、頭痛、不眠、めまい」の症状が訴えられていたことが認められる。

<証拠略>によつて認められる医学書、論文の記載及び<証拠略>に照らすと、前記認定にかかる原告の氷川下病院及び日医大病院受診当時の各症状は、鉛中毒症によつても起こりうる症状であると認められるし、各病院受診当時の症状には「うつ状態、不眠、夢遊状態、頭重、頭痛、階段の昇降困難、下痢、便秘、風邪をひきやすい、倦怠感、易労感(疲労がとれない)、手指の振せん、性欲減退、皮膚障害、微熱、焦燥感」等共通するものが多くみられ、そのなかには、新認定基準が鉛中毒を疑わせる症状としてあげている「便秘、食欲不振、易労感、睡眠障害(不眠)、焦燥感」旧認定基準のあげる「手指の振せん」が含まれている。

(3)  前項でみたように、日医大病院受診当時の原告の症状は、鉛中毒症によつて起こりうる症状であり、労災認定を受けた氷川下病院受診時の症状と明らかに共通するものが多数存在することのほか、(ア)前記のように慢性鉛中毒症は一般に長期間にわたる鉛の体内への吸収蓄積により徐々に発病するものであること、(イ)原告は、日医大病院受診後の昭和四五年一〇月二九日から同四六年三月二一日までは全く業務に従事しておらず、同月二二日から同年七月一〇日までは一日五時間の勤務をしただけである(<証拠略>によると通常は一日一〇時間の勤務であつたと認められる。)ことは当事者間に争がなく、したがつてその間の鉛の曝露量は少なかつたものと考えられるから(その間に通常勤務の場合以上に大量の鉛の曝露を受けたことを認める証拠はない。)、労災認定を受けた氷川下病院受診時の原告の慢性鉛中毒症は、原告が日医大病院受診前の長期にわたる鉛の有害作用を受けうる環境において作業に従事していたことにその原因を求めるのが相当と考えられること(換言すれば、日医大病院受診後のあらたな原因により生じたものとは考えにくいこと)、(ウ)<証拠略>によれば、原告が日医大病院を退院した当時原告の症状は完治していたものではなく、その後も引き続き同病院に通院し治療を受けていたが、同病院での治療によつても症状が一向に好転しないため七月一日より氷川下病院で受診するようになつたことが認められるのであつて、受診した病院は異なり、また後記のようにその治療の観点も異なるものではあるが、原告の一貫した愁訴に基づいて引き続きその治療が行われてきているとみられること(原告からみれば継続した同一の症状について引き続き治療を受けていること)、をあわせ考えると、原告の日医大病院受診当時の症状と氷川下病院受診当時の症状とは、一見多様ではあるが基本的には同一であり、これを全体としてみれば継続的一体的なもの(もし同一病院で治療を受けていれば一つの疾病に基づく一連の症状として取り扱われたと考えられるもの)と認めるのが相当である。そうすると、右の症状のうち氷川下病院受診当時のもの(部分)につき被告より鉛中毒症として労災認定を受けている以上、日医大病院受診当時のもの(部分)についても、特段の事情がない限り、鉛中毒によるものと推認するのが相当である。

5  被告は、日医大病院受診当時の原告の症状は、新旧認定基準に定められた要件(検査数値)をみたすものではなく、原告の既往症・身体的傾向からも発症するものであり、医師の所見等を総合して判断しても鉛中毒症によるものとは認められない、と主張する。

(1)  原告につき、日医大病院で行われた昭和四五年一一月二八日の血液一般検査においては正常、貧血なし、尿検査についても正常という結果であつたこと、同病院の昭和四六年二月一二日の血液一般検査においても正常、貧血なしという結果であつたこと、また、同年三月一〇日及び同年四月二三日会社で行われた鉛特殊健康診断においても、血色素量、全血比重、赤血球数は新旧認定基準に定める基準値に該当せず、尿中コプロポルフイリンは陰性であつたことは、当事者間に争がなく、右検査結果は、いずれも新旧認定基準の要件をみたすものでない。

しかしながら、右日医大病院の検査は一般的な血液検査であつて鉛中毒症かどうかの診断のために行われたものでないことは明らかであるし、また会社における検査も鉛予防規則に定める鉛健康診断とはいえないことは当事者間に争いがないから、右各検査は、いずれも新旧認定基準に該当するかどうかを判断するのに必要かつ十分な検査とはいえないものである。そして、日医大病院受診当時原告につき他に新旧認定基準該当性の有無を判断するのに必要かつ十分な検査が行われたと認めることができる証拠はないのであるから、結局、日医大病院入院当時原告が新旧認定基準に定める要件をみたしていたかどうかは、これを的確に判断するだけの資料がなく、明確ではないというべきである。なお、<証拠略>によれば、労働保険審査会の裁決書においては、日医大病院診療終了後間もない昭和四六年七月一二日に氷川下病院で誘発法による二時間後の尿中鉛濃度を測定しても一リツトル当たり一七五マイクログラムの値を検出しているにすぎないから、この時の原告の組織内鉛蓄積が特に多量であつたとはみられず、このこと及び日医大病院神経科では排鉛治療を行つていないことからすれば、同病院初診当時においても原告の組織内鉛蓄積量が多量であつたとは考えられず、したがつてまた、同病院初診当時仮に血中鉛及び尿中鉛等についての検査を行つていたとしても鉛中毒を特に疑うに足りる値を検出し得たと推認することはできないとしている。しかし、<証拠略>によれば、氷川下病院の検査において、右誘発法による検査の十数日後である同月二八日には自然尿で一リツトル当り一八〇マイクログラムの尿中鉛が検出されていることが明らかである(これは旧認定基準所定の数値をみたすものである。)から、右誘発法による検査結果のみを根拠として日医大病院受診当時必要な検査を行つても鉛中毒症を疑うに足りる数値を検出し得たと推認することはできないと速断することは、相当でないというべきである。

仮に、鉛中毒症である以上検査を行えば必ず新旧認定基準に定める検査数値を検出することができるはずであり、検査を行つても新旧認定基準に定める検査数値を検出することができない場合は鉛中毒症と認めることはできないという立場をとつたとしても、それは右判断に必要な検査が行われている場合にいえることである。したがつて、本件のようにその判断のために必要かつ十分な検査が行われておらず日医大病院受診当時原告が新旧認定基準の要件をみたすかどうか不明な状況の下では、前記のような検査結果のみをもつて前記4の(3)の推認を妨げることはできないもといわなければならない。

(2)  次に、会社の病歴表による原告の病歴が被告主張のとおりであることは当事者間に争がなく、この事実によれば、原告には肺浸潤の既往症があり、その後も気管支炎、感冒などにかかりやすい傾向と神経循環無力症と診断された自律神経失調状態を疑わせる傾向があつたものということができる(なお、原告は昭和四五年一〇月二九日日医大病院で受診し「うつ状態」の診断名で同四六年七月一〇日まで同病院で治療を受けているが、「うつ状態」は病名というよりは症状名というべきである。)。日医大病院受診当時原告が鉛中毒によつて引き起こされることのある症状を呈していたことは、前記4の(2)認定のとおりであるが、他方原告が右のような既往症及び身体的傾向を有していたことに照せば、日医大病院受診当時の右症状がむしろ原告の既往症・身体的傾向に起因するものではないかという疑いがなお存在するものといわねばならない。

ここで、目を転じて氷川下病院受診当時の原告の症状をみるならば、前記4の(2)で認定したとおり、右当時の症状もまた、鉛中毒によつて引き起こされることのある症状であると同時に、原告の前記既往症・身体的傾向に起因する疑いをもいだかせるものといわねばならない。しかしながら、原告が氷川下病院初診時である昭和四六年七月一日に遡及して労災認定を受けたことは当事者間に争いがなく、原告から旧認定基準の定める検査数値が検出されたことから鉛中毒症にかかつているものと認定して右労災認定がされたものであることは前記4の(1)に述べたとおりである。そして、新旧認定基準はその定める要件をみたす患者についてはこれを鉛中毒症にかかつているものと判断しても誤りでないという合理性をもつ基準であるというべきであるから、結局、原告は氷川下病院受診当時鉛中毒症にかかつていたものと判断するのが相当であつて、右当時の原告の症状についても、原告の既往症・身体的傾向に基づくものというより、鉛中毒によつて引き起こされたものと解するのが合理的といわねばならない。

原告の日医大病院受診当時の症状と氷川下病院受診当時の症状とが基本的には同一であり、これを全体としてみれば継続的一体的なものと認められることは、前記4の(3)に述べたとおりであり、また、原告の前記既往症・身体的傾向はいずれも日医大病院受診前に既に認められていたものであるところ、これらの既往症・身体的傾向が日医大病院受診後氷川下病院受診前に特別の治療を受ける等の方法により改善されあるいは軽快したというような事実も認められない。そうであるならば、原告の日医大病院受診当時の症状についても、氷川下病院受診時の症状と同様、鉛中毒により引き起こされたものと解するのが相当である。(原告の氷川下病院受診当時の症状について鉛中毒によつて引き起こされたものと判断しながら、日医大病院受診当時の症状についてのみ原告の既往症・身体的傾向に起因するものと解することは、むしろ不自然であつて、合理的とはいえない。)

したがつて、原告に被告主張のような既往症・身体的傾向のあることは、前記4の(3)の推認を妨げる理由とはならないものというべきである。

(3)  また、原告は日医大病院入院当時「うつ状態」と診断されていたことは当事者間に争いなく、<証拠略>によれば、同病院入院当時医師は内因性のうつ状態を疑つて治療を行つていたものであり、<証拠略>によれば入院当初より軽快し退院したものとされていることがそれぞれ認められる。

しかし、<証拠略>によれば、日医大病院では、まず外来患者として抗うつ剤を主剤として治療したが効果がなく、更に電気痙攣療法を五回試みたが改善がなかつたこと、一一月二八日に入院したのち直ちにトリプタノール(抗うつ剤)の筋肉注射を開始し一二月に入るとかなり軽快したが同月中旬すぎて再び症状が増悪し、トリプタノールを増量したが症状は一進一退であつたこと、昭和四六年一月に入りデフエクトン(精神分裂病治療剤)を加えたが効果なく、二月に入り電気痙攣療法を開始し、二月五日からサフラ(抗うつ剤)を使用したが依然として長期にわたる一貫した不眠、億劫感その他心気的愁訴が続いたこと、二月下旬よりメレリル(精神神経用剤)投与をはじめると日内変動は残るが外出できるようになり、三月二二日より病院からナイト・ホスピタルの形式(夜間だけ入院して病院から通勤する方式)で出勤するようになつたが、なお、不眠億劫感が残り、四月八日からリタリン(精神神経用剤)を使用し、五月二二日完治には至らないが退院したこと、右退院当時の所見として「未治・不良」、経過の要約考察として「約六ヶ月間の入院なるも、これ程回復不良な患者もめずらしい……結局未治の状態で退院」とされていたこと、更に退院後引き続き通院治療を受けていたが、この段階では脳器質的な疾患が疑われ(昭和四六年六月一九日)、次いで精神分裂病が疑われていたこと(同年七月一〇日)が認められる。

右事実に<証拠略>をあわせ考えると、日医大病院の医師も原告の症状の原因について確実な診断を下していたものではなく、なお模索の域を出ない状態であつたものと認めるのが相当である。

そして、<証拠略>によれば、日医大病院の医師としては、鉛中毒症については全く念頭になく、その治療も行つておらず、原告が鉛中毒症であつたかどうかについては肯定も否定もすることができない状態であることが認められる。

そうすると、日医大病院における医師の診断・治療の状況をもつて直ちに前記4の(3)の推認を妨げることもできないものというべきである。

(4)  他に前記4の(3)の推認を妨げる特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

6  以上のとおり、原告の日医大病院受診当時の症状は鉛中毒によるものと推認すべきところ、原告が長期にわたり鉛の曝露を受ける有害な作業環境で仕事に従事していたことは前記のとおりであるから、原告の右疾病(鉛中毒症)は業務上の事由によるものというべきである。

7  そうすると、原告の日医大病院受診当時の疾病を鉛中毒症に該当せず業務上の事由によるものでないとした被告の本件処分は違法であり、取消しを免れない。

三  結論

よつて、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 越山安久 星野雅紀 三村量一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例